ダックス! 【小説ブログ】

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悪魔 第三話 原作:太宰治

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   悪魔 第一話 原作:太宰治

   読者案内

 ※この物語はセリヌンティウスから見たお話です。「走れメロス」の物語の概要を知っている方にお勧め致します。

             *第三話*

 セリヌンティウスのほとばしるように熱く澄んだ目から涙がこぼれ落ちた。自身の情けなさを責めた。心に棲みつき、たたずみ、あざけってこちらを見つめるあの悪魔に、お前は打ち勝てないのかと歯を食いしばって責めた。ああ、悪魔よ。私から離れろ。私はメロスをひしと抱き締めたではないか。私の一切を信じ、全てを打ち明け託してくれた最愛の友を、この手で抱擁したではないか。なのに、この悪魔はメロスを疑えとささやいてくるのだ。やめろ、やめろ。友と友の間の信実は、この世でいちばん誇るべき宝なのだ。その固い友情を切り裂こうとするのか。「もしや」と「まさか」と、メロスは帰ってこぬのでは、と疑うな。ああ、情けない、くだらない。全てを分かち合った友を疑って、いったい何が残るというのだ。

 たったあの一瞬の出来事で、こんなにも自分の心はもろく崩れ果ててしまうのか。

 セリヌンティウスは思い返した。それはたった数分前の出来事であった。なんのことはない。二人の警吏の噂話を耳に挟んだだけだ。おい、あのメロスとかいう者、山賊に襲われたらしいな。ほう、それは不運なことで。殺されちまったんですか。まあ待て、全て聞け。その者はな、なんとも果敢に山賊を倒したそうな。しかしな、倒したとたん、ばったりと寝転がり、くだらない、なんだ人質など、ばかばかしいと笑ったのだ。それを偶然見た兵士が報告してきたのだ。はっ、やはり馬鹿は馬鹿でありましたか。その命の方が大切だったというわけですな。ああ、そうだ。なんとも間抜けなことよ。

 セリヌンティウスはそれを鼻で笑った。あの王のことだ、わざとメロスを襲わせメロスが全てを投げ出して逃げたという嘘をでっちあげたのだろう。メロス、きみはそんなことはしない。たとえ洪水に巻き込まれても、負けるものかとざんぶと飛び込み泳いで渡るような勇ましい男なのだから、きみは。

 全くもってその通りであった。メロスが逃げたなど、もちろん嘘であったし、山賊も王が遣わしたのだった。しかし、セリヌンティウスは気がつかなかった。二人の警吏の嘲笑がだんだんと迫ってくるのを。確かに自身のその頬を嫌な汗が流れてゆくのを。

 そして数分後にはこの有り様だ。

 セリヌンティウスはまた一粒、涙をこぼした。最初はほんのちょっとであったのだ。己でも気が付かぬほど、小さな小さな疑惑であったのだ。そして、ハッと気が付いたときには既に遅し。疑っていたのだ、最愛の友を。セリヌティウスはなんと人間は弱いのだろうと思い知った。私たち二人の友情は、こんな他愛もないことでぷっつりと切れてしまうのかと。メロスは走っているのに。今に私が解放されるときを一心に願っているのに! ああ! 罪深いことよ。愛する者を疑うとは。

 死の刻限が迫る中、人質の信実の光は弱まっていた。

                      第三話 完

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