ダックス! 【小説ブログ】

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悪魔 最終話 原作:太宰治

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 悪魔 第一話 原作:太宰治

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 ※この物語はセリヌンティウスから見たお話です。「走れメロス」の物語の概要を知っている方にお勧め致します。

               *第四話*

 ふと誰かの声がした。セリヌンティウスはそのか細い声を聞きとろうと耳をすませた。すると、その声が己を呼んでいるのだと気づいた。

「・・・聞こえとるかい? 若い石工さん。」

 セリヌンティウスは目を見開いた。牢獄で囚人が話をするなど、警吏に見つかれば鞭打ちものだ。セリヌンティウスは首をかしげ、「・・・なんでしょうか」と小さく言った。

「あんたさっき・・・王様のところへ引き出されたけれども、いったい何をやらかしたんだ? ここはじき死刑になる野郎ばかりが集まっているというのに。」

 若いとも、年寄とも思えぬ声であった。警吏に気づかれまいと口から少しずつ漏れるような声で言っている。セリヌンティウスは「人質です」とは言いかねた。メロスに毒を感じるようであったからだ。彼は途切れ途切れに「明日の、日没に・・・磔刑です」と絞り出すように言った。己のその言葉が耳の奥に染み入って絡みつくようだ。囚人は「ほっ、それは・・・」と言いかけ、口をつぐんだ。警吏の足音がコツコツと聞こえてきたからだ。セリヌンティウスは気づかれたのだろうかと息をひそめた。しかし足音はすぐに遠のき、囚人達の呼吸音だけになった。話しかけてきた囚人は警吏に見つかるのが怖いのだろう、それ以上もうなにも言わなくなった。セリヌンティウスは視線を落とし、じっと冷たい石の床を見つめた。見つめているうちに、その床に何かがあるのに気づいた。よくよく見ると、それは丸く浮かび上がるようにくっきりとした水滴であった。彼はああ、と理解した。それは涙であった。自身の大粒の涙であった。さっきから泣いてばかりだな、と哀れな人質は口角を小さく上げた。

 どうして、私はこうなってしまったのだろう。ああメロス、どうか許してくれ。きみは私のために走っているのだろう。きみを疑い、その罪に苦しんで泣いているこの罪人のために闘っているのだろう。たとえその手足がもげようと、這いつくばってきみは帰ってくるのだろう。そのきみに対して・・・なんだ、私は。待つ者がつらいか、待たせる者がつらいか、どちらがより苦しいか、私はわかっているはずだろう。

 そう思った瞬間、セリヌンティウスは一筋の光が差すのを感じ取った。そうだ・・・あのよき友もつらいのだ。戻ったら殺されるという地獄のような恐ろしさに必死に耐えているのだ。お互い、死が目前に迫る中で、ゼウスに試されているのだ。「友のために、その命を捨てられるのか」と。愛に生きて死ぬことができるのかと。

 セリヌンティウスは心に棲みついた悪魔を振り払うように顔を上げた。すまない、メロス。たった数分でも、私はきみを疑ってしまった。生まれてはじめて、きみを疑った。悪魔にとり憑かれそうになった。罪を犯してしまった。

 メロス。きみは、私をゆるしてくれるか。ゼウス。あなたは、私をゆるしてくださいますか。

 

 日没がのそりのそりと動き始めた。真っ赤に染まった空が二人の若者を見つめている。やがてこのシラクスの町は歓声とすすり泣きの声に包まれ、はりつけ台の上で抱き合って泣き続ける二人の勇者を称えるだろう。

 愛と誠の力を世に示した二人は、真の友だったのである。

                           完

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